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どうなる、どうする日中関係 作者:段 躍中

どうなる、どうする日中関係 作者:段 躍中

【编者按】段跃中,1958年生于湖南。原为《中国青年报》编辑、记者。1991年留日,2000年 获日本国立新泻大学博士学位。現任日本侨报出版社总编辑・日中交流研究所所长。兼任北京大学客座研究员、首都经贸大学客座教授、《人民中国》杂志顾问、中国新闻社特约记者・《世界华文传媒年鉴》编委、日本千叶商科大学讲师。主要编著书有:《在日中国人大全》(主编  日本侨报社  1998年)、《留学扶桑》(译林出版社  1998年)、《负笈东瀛写春秋---在日中国人自述》(编著  上海教育出版社  1998年)、《当代中国人看日本》(编著  北京出版社  1999年)、《现代中国人的日本留学》(日文  明石书店 2003年)、《日本华文传媒研究》(日文  北溟社  2003年)等。原文是作者在「連合通信社 情報懇話会21」的演説。題目是「どうなる、どうする日中関係─北京五輪前に大震災、災い転じて福としたい─」,刊登在《日本僑報電子週刊》(第763号、2008年7月2日、http://duan.jp)。现全文予以转载

 ご紹介にあずかりました段躍中と申します。最初に自己紹介させていただきますが、私の生まれた故郷は、今年1月に大きな雪害を受けた湖南省です。日本の滋賀県と友好姉妹都市で、中国国内での特徴としては、多くの政治家が生まれた所です。例えば毛沢東、劉少奇などです。

 湖南の人間は、食べ物は辛いものが好きです。肉でも魚でも生では食べません。名前はよくないですが腐った豆腐(臭豆腐)と書き、日本のおいしいご飯で食べると最高の味です。

 私は故郷を18歳の時に離れ、その後暮らした北京の生活よりも、今では東京での生活の方が長くなりました。留学生として日本に来て、2000年3月に田中角栄さんの故郷である新潟大学で博士号をとり、日中専門の小さな出版社(日本僑報社)を立ち上げてコツコツ頑張ってきました。

 石より固い本ばかりつくっていて、なかなか売れません。日本は言論の自由はすごくいいのですが、売れなかったら経営者の責任になりますから、いつも苦しんでおります。

忘れ物は出てくる、言論も自由で、大好きな日本の街で活動中

私が日本に来た時に一番感心した、驚いたことは、2年ほど先に来日していた妻に山手線の巣鴨駅から電話した時です。1991年の8月2日午後4時頃のことでした。大切な自分のカバンを公衆電話の上に置いて忘れてしまったのです。中には中国政府の銀行から両替してくれた8千円とパスポートなど、すべての財産を入っていました。あわてて探しにいったら、何とそのまま電話の上にあったので、本当にびっくりしました。

 日本は来日前に言われていた「夜不閉戸 道不拾遺」の通りでした。夜は扉を閉めなくても安全、道端に落ちている物は警察に届けるという意味ですが、自分が体験して本当に驚きました。

来日後、巣鴨に5年住んでいました。大好きな街です。ですから、再び自分の原点に戻って豊島区の区民として、池袋を拠点に活動をしているのです。

 もうひとつ感じたのは、言論の自由でした。中国で新聞記者をしていたので、日本のジャーナリズムに関心があったのです。日本語がよくわからなくても、新聞には漢字が多いですから、何となくわかりました。2面や3面に政治漫画があり、時の総理大臣を批判したり風刺する漫画を堂々と載せていたりするということに、とてもびっくりしました。中国では、間違いなく逮捕され、新聞社は閉鎖されてしまいます。

 もちろん、いまの中国の言論は良くなってはいますが、首相を批判することはまだ許されません。インターネットの書き込みや口コミ、お酒を飲む時に雑談で語っても問題ないのですが、全国紙の紙面にそういうことを載せることはできません。

[ 本帖最后由 杰亮 于 2008-7-4 01:25 编辑 ]

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どうなる、どうする日中関係(2)

災い転じて福とするためのキーワードは「民間力」

 今年の日中関係の大きな話題に、チベット問題や聖火リレー、餃子事件、大地震がありますが、本日のテーマにあるように「災い転じて福としたい」という思いでおります。そのキーワードは「民間力」だと思います。私の造語ですが、民間の人々の力が日中関係をかえていくということです。

 最近の日中問題は新聞、テレビでも詳しく報道されていますが、こんな数字を皆さんご存じでしょうか。「1・25」「3・14」「5・12」。どんな意味があるかわかりますか。実は、これらの数字を足すとすべて「8」になります。

 1月25日は、私の故郷、湖南省の雪害がはじまった日です。この日から1カ月くらい50年ぶりの大雪にみまわれました。死者は多くなくても被害は甚大でした。3月14日は、チベットでの騒乱が起きた日で、5月12日は四川大地震です。

 では、この8、8、8は何の日? そうです、8月8日午後8時8分、北京オリンピックの開幕式なのです。この数字の符号が重なることについては、中国国内やインターネットで話題になっていることです。

星野監督も言うように「人権問題と聖火リレーは無関係」

 チベットについて中国人の考えは、基本的にはチベット解放以来、中国政府はたくさんのお金を出して経済的に支えてきたと認識しています。特に中国政府は一人っ子政策をとってきましたが、チベット族をはじめ少数民族の人たちは何人子供がいても問題ないのです。

それなのにこういう問題が生じたということは、中国人から見れば、政府の対応の問題はあるとしても、騒乱が起こった時に鎮圧するのは仕方がない面もあると思います。破壊活動をした者に対して強い姿勢を示したことには理解する人が多いです。

 私はチベットに行ったことはないし、勉強も不足していますが、チベット問題と聖火リレーは違う問題だと思います。長野市内での聖火リレー第一走者の星野監督は「人権問題と聖火リレーは無関係」とテレビで発言していましたが、私もそう理解しています。

 東京オリンピックが開催された1964年から44年過ぎました。明治維新から東京オリンピックまで約 100年、中国は改革開放政策から30年というスピードです。人口は日本の10倍ということで、国民の経済力や教育レベルはまだまだ日本との差は大きく、40年前の日本と比べれば差は歴然としています。そのため、この30年間一生懸命がんばってきた上でのオリンピック開催と、それを成功させることは、中国人だけでなく世界にとっても大変望ましいことではないかと思っています。

[ 本帖最后由 杰亮 于 2008-7-4 00:53 编辑 ]

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どうなる、どうする日中関係(3)

長野では「夢を共有しよう」と、日中友好のスローガンもたくさん掲げられていた

 今回のチベット問題が発生した後、日本で聖火リレーを行った時、チベットの支持者、聖火リレーに反対するグループの抗議活動を、私も長野に行って目撃しましたが、今日はその時の在日中国人たちの行動と気持ちについて知ってもらいたいと思っております。

 テレビで中国の赤い国旗ばかりを見て、日本の国民に不満があるということを私は承知していますが、現場では別の場面もいっぱいありました。今日はそれをプロジェクターで紹介させていただきたいと思います。

 この「長野1998年」のスローガンの幕を掲げているのは、横浜在住の華僑総会の会長さんのグループです。「中日友好」の看板をたくさん掲げているのは若い学生さんたちです。長野県華僑総会は中国国旗を用意しましたが、参加した在日中国人は北京オリンピックを応援するだけでなくて、日本国旗や「2008北京頑張れ 2016東京頑張れ」と書かれた紙、また「夢を共有しよう」と日本語で書かれた横断幕などもたくさん掲げたのです。日本国旗はあまりなかったと言われましたが、私が現場で見たのは大きい旗も小さい旗もたくさんありました。日本のテレビはそういう場面は、あまり伝えなかったようです。

 長野での在日中国人たちの行動は、日本で話題に、あるいは批判の声もあったのですが、中国人学者の論文や私の撮った写真を見てもらえれば、在日中国人は祖国の応援だけではなく、「日中の架け橋」という気持ちを持って沿道から応援したことが、少し理解してもらえるのではないかと思います。

 率直に申し上げると、中国 5,000年の歴史の中で初めてオリンピックが開催されることに喜びの声、心境、気持ちは十分に理解していただけると思います。恐らく、1964年東京オリンピックの時、日本の人たちも同じような気持ちだったのではないかと思います。

 私はこういった現地での写真をもっと多くのマスコミに載せていただければと願っています。そうすれば、事実が伝わらないことでの誤解が広がることもないと思います。

 いま在日中国人の多くの人たちがこういう風に言っています。「中国人のチームが外国チームと対戦する時は中国人のチームを応援する。日本人のチームが外国のチームと対戦する時、在日中国人たちは日本のチームを応援しよう」。この気持ちは、ほとんどの中国人が持っているのではないかと思います。

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どうなる、どうする日中関係(4)

餃子事件では「お見舞い」の態度表明で日中の政府に大きな差

 まだ最終的に解明できていない「餃子事件」について、簡単に触れてみます。(今回の餃子は、日本向けに作られたものです。)日本の人が餃子を食べる時、恐らく中国人とは食べ方が違うと思います。今回の河北省で作られたのは焼き餃子用のもので、中国人の食べ方は基本的に水餃子です。

 今回の餃子事件について、私は中国政府や一般の中国人とは違う見方をしています。一つは日本のメディアの報道の仕方です。「煽る」というか、推測や憶測で報じる面があって、中国メディアから「炒作」(大げさに書きたてる)と批判されています。

 多くのテレビ番組では、興味本位や多大な恐怖心を持って、中国や中国人を十把一絡げにして、嫌中論・反中論に結びつけていましたが、フェアな姿勢とは言いがたいことも指摘しておきたいです。

 しかし、実は日本をはじめ西側の報道は、中国人には理解できない面があります。なぜかというと、日本では中国のように報道をコントロールできるものはなく、批判ができる言論の自由ということがあるからです。

 中国のメディアは、もっと外国のメディアのことを理解、あるいはもっと勉強してほしいと思います。各企業も問題が発生した時に、どう対処すればいいか、深く検討していく必要があります。例えば今回の餃子の製造工場のマスコミへの対応です。本当に自信があって問題がなかったらもっと早くから、特に日本からのメディアにオープンにしなければならなかったと思います。

 もう一つは、問題が発生した時、日本の福田首相は国民にお見舞いの言葉を述べました。一方、中国の外交担当の指導者の口からはお詫びの言葉、餃子を食べた日本の被害者へお見舞いの言葉もなかったのではないかと思います。

 私はどこで毒が入ったかは別として、そのような餃子を食べた人たちに対してお見舞いやお詫びの言葉を述べた方が国際的に理解されるのではないかと、ブログに載せました。何の落ち度もない人たちが被害にあったという事実は、動かし難いことですから。ブログの内容について一部の人たちからは批判されましたが、中国の国際イメージにとって良いことだと強く信じているので、批判されても自分の主張は表明していきます。

 この問題では、唐家せん国務委員(外交担当・副首相級)が2月に来日した時に慰問の気持ちを表明したことは、良かったと思います。

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どうなる、どうする日中関係(5)

四川大地震に対し、日本政府や民間から素早い支援に感激

 四川大地震では、素早い日本の行動に感謝の気持ちでいっぱいです。中国では1976年に死者25万人という最も大きい地震(唐山大地震)が起きていますが、当時の政府は国際社会にも国民にも知らせなかったのです。中国国民がこの地震のことを広く知ったのは1979年の政府発表によってです。今回の地震では、情報公開の面で史上初めてオープンになり、中国メディアも被害状況を大きく取り上げています。

 私も自分のネットワークを使って、中国語を勉強している人たち、本を買ってもらっている読者に呼びかけて募金活動をしたところ、5月16日から三週間で50万円以上の募金が集まりました。日本政府は5億円の支援を表明し、さらに追加5億円など、素早い対応ですし、救援チームも派遣していただいて、中国を元気づけました。

 民間の支援も活発で、地震の次の日には各コンビニに募金箱が置かれていました。私たちも初めて池袋で募金を訴えましたが、年輩の方から子どもたちまで、最初の日には1時間余りの間に5万円の募金が寄せられました。その様子の写真はインターネットで、たくさん中国でも転載されました。

悲嘆にくれている時の救援に、日本に対する見方が変化した中国

 こうしたことから、日本人の温かい気持ちは中国に十二分に伝えられていると思います。日本僑報社に寄せられたメッセージには、日本の皆さんのたくさんの気持ちが綴られています。悲嘆にくれる被災地と中国に、日本からの支援は大変心強い一条の光明です。

 中国人はこの大地震を通して、日本に対する認識が本当に変わっているということです。

 日本からのレスキュー隊の救援活動は、できればもっと早く要請すべきだったと思います。結果として建物の中で生きている人を救うことはできませんでしたが、特に中国人の気持ちを引きつけたのは、親子の遺体の両側に整列して敬礼している、黙祷している写真です。恐らくほとんどの中国の国民はこの写真をテレビや新聞で見ていると思います。中国人は、死者に敬意を表してくれた日本人の気持ちに衝撃を受け、感謝しています。

 中国人の中に、日本の皆さんがこんなに心温かく対処してくれているということ、一生懸命の支援は、口コミやインターネットで伝わっています。

 日中両国民は、今回の大地震を通して相互理解を深めたということは間違いないことだと思います。それをいかに活用して日中関係をもっと深めていく、改善していくかは、これからの大きな課題だと思います。

 つい最近、自衛隊機でテントを運ぶという件については、日本のマスコミの雰囲気と私の意見は違います。実現しなくてよかったと思います。多くの中国人は日中関係において「歴史問題」という、ものすごく重苦しい問題を頭の中にで忘れてはいないですから。特に日の丸の飛行機が中国の空を飛ぶのは、強い抵抗感があると思います。

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どうなる、どうする日中関係(6)

池袋の公園に集まって日曜中国語教室、気軽に交流しています

 私はこれまで民間レベルで日中相互理解の活動を展開してきましたが、これから少し自分のやっていることを紹介しながら、皆さんと意見交換ができればと思います。

 去年の8月から、池袋で日曜日に中国語のサークル(「星期日漢語角」)を運営しています。会場にしているのは立教大学の近くの西池袋公園です。中国のテレビでもその様子が紹介されています。その映像を見ていただきますと、参加者はどちらが日本人、どちらが中国人かわかりません。この映像の方々は、大手会社の北京駐在員、大学教授、一般の主婦の方もいらっしゃいます。その他、このサークルの参加者には学生さんもいますし、中国語や日本語の先生、雑誌の記者、IT技術者、作家など多彩な顔ぶれです。

 去年8月から現在まで、既に42回の交流会をしました。一番の年輩は85歳の婦人です。中国語はそれほどしゃべれないけれども、ずっと10年勉強しておられ、中国語の新聞を読むことができます。一番年少は4歳の女の子です。

 このサークルは日中の民間交流の一つの場所としていますから、中国語ができなくても参加されている人もいます。開始してから半年以上経過しましたが、参加された方は延べ 約1,000人になりました。京都から参加される人もおり、紹介した映像のように中国の政治家が来日の際に顔を出すこともあります。

公園を利用して毎週、日本人と中国人が自由に交流できる場

 日中交流における問題点としては、日本の皆さんが直接に中国人と交流するチャンスがあまりないということとがあります。中国に駐在した経験をもっている人が違う部署になって中国語を使う場がなくなったという声もあって、そこに行けば交流ができ、中国の文化に触れられる、生の情報を入手できる場として作ったサークルです。

 中国ではこのように公園を利用したサークル活動があります。中国では「角」という言葉をよく使います。公園の中に一つのエリアを作って誰でも自由に参加できる、無料のボランティア活動です。

 このサークルを通して感じるのは、相互交流はいかに重要か、特に対面式の交流はいかに重要かということです。

 私の住んでいる地域、池袋という場所は都内だけでなく埼玉県からの交通の便がいいということで、首都圏の中国人を支える街の一つになっています。中国料理店、食材店、書店、出版社、インターネットカフェ、在留資格変更手続きの代行、自動車免許の取得ノウハウ指導などが多数存在します。池袋は新宿の中国系の飲食店と異なって業種が幅広く、在日中国人が情報を収集して発信する拠点となっています。

 中国人の外国人登録者は池袋では1万人足らずですが、通勤通学している人も入れると2万人近いと思います。池袋周辺の中国関係の店舗は既に 600以上になっていて、中華街のような街づくりもスタートしています。横浜の中華街より、ずいぶん値段は安いです。ということで、私の活動の場所として選びました。

 毎週開催するのは大変ですが、多くの方が参加して、いろいろな交流ができ、特に発表できた人は嬉しいと言ってくれます。日本のマスコミも日経新聞、東京新聞、共同通信社、中国では人民日報をはじめいろいろな紙面でとりあげられました。

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どうなる、どうする日中関係(7)

在日中国人社会も変貌し、中国語の新聞や雑誌で情報発信

 私はこのサークルの他に、出版面では、等身大の在日中国人の姿をまとめたデータブック(『在日中国人大全』)を1998年にまとめていますし、インターネットを活用したメールマガジン「日本僑報電子週刊」(98年から毎週)とブログ「段躍中日報」(05年から毎日)などを発信しています。発信を早く、情報量を豊富に、そして相互理解と民間交流に寄与したいという思いからです。

 ここで、日本で発行されている中国語のメディアについて紹介させていただきます。皆さまも中国語の新聞などを目にされたこともあると思いますが、中国の改革開放以降に日本に来た中国人は日本で 200種類の新聞、雑誌を発行しています。なぜそんなに多く発行されたのかというと、日本は冒頭に申し上げたように言論の自由の国です。中国人は活字にすることが大好きなのです。中国では新聞、雑誌を作る時は政府の許可を得なければならないのですが、日本では小泉さんを批判しても石原さんを批判しても問題ないということで自由に作れます。

 発行すると自分の店の宣伝にもなるということで、この20数年で多くの新聞、雑誌が誕生しました。現在まで継続発行しているのは約50種類です。

 中国語の新聞のメインは、週刊です。池袋で発行されているのは14種類あり、多くは飲食店や中国語書店に置かれています。その中に私のような小さなメディアも入っています。他の新聞は基本的に無料ですが、私の小さなものは研究者向けなので、飲食店などには置かず、本を買っていただいた方にPR誌として送っています。

 こんなに中国のメディアが発行されていることはいいことだと思いますが、最近、日本の環境問題あるいは資源問題と関連して、少し違った考え方が頭の中に出てきました。というのは、JRの新大久保駅前にいた時、突然、風が吹きました。各店の前に置かれた中国語の新聞は、すぐ空へ飛んでしまいました。こんなにたくさん作って、こんなに風で飛んで雨に濡れて、資源がもったいないと思いました。

 たくさんの新聞などはそれぞれの考えでバラバラに発行していますが、力を合わせて日刊新聞のようなものを作れないかと思っています。中国人も日本人も読めるようなものを作ったらいいと、最近感じています。

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どうなる、どうする日中関係(8)

外国人登録は中国人が最多、中国からの観光客も急増中

 中国メディアの中に面白い読者のグループが存在していることを、皆さんはたぶんご存じでないと思います。

6月3日に日本の法務省が発表した外国人登録者数は、過去最多の約 215万人3千人で、国別では中国人が1位になり60万 6,889人(07年末時点)だそうです。日本国籍に変わった人も、去年初めて10万人を突破したといいます。

 もう一つ、いつもマイナスの記事に登場するのは「不法滞在者」で、中国人は4万人くらいいるのではないかと言われています。ちなみに日本の刑務所に入っている中国人は、3千人以上です。このような不法滞在者、ビザ無しの人はインターネットも利用できません。回線やプロバイダー契約などをする時には身分証明書やクレジットカードが必要ですから。そういう人にとっては中国語の新聞、雑誌は大きな情報源になっているということです。

 私が日本に来た時には新聞の種類は少なかったし、モノクロ一色で広告も少なかったのですが、最近はフルカラーで広告満載です。なぜそうなったかというと、技術の進歩と同時に中国人社会の大きな変貌があり、広告の主張が大きくなっていると思います。

 その広告の中でとても信じられないような内容は、風俗業の広告です。日本のスポーツ紙に負けないほど風俗の店の紹介と、同時に若い娘を募集しています。中国からの日本への観光客は多くなっているので、観光客向けの広告もたくさん出ているということです。

 日本から中国への観光客は年間 400万人を超えていますが、中国から日本へ来る観光客は残念ながらまだ 100万人くらいです。日中往来1千万人時代を早く迎えられたらと願っていますが、いまはアンバランスになっています。日本から中国へはビザ無しで誰でもいけます。いま私が一番行って欲しいのは都知事の石原さんです(笑)。

 インターネットで日本を厳しく批判している若い人たち(中国語で憤青)が、もっと多く日本に来てほしいなと思っています。できれば、どこかが資金を出してそういう人たちを日本に招待して欲しいです。

 最近の中国人の経済力は、皆さんが信じられないほど財布が膨らんでいます。中国人13億の中に1%の人がお金を持っていて、ものすごい数になります。しかも中国人の金持ちのケタは日本とぜんぜん違って、日本の金持ちとは比べられないほどです。

 われわれが日本で感じたのは、日本は本当の社会主義で中国は資本主義だと。それに日本は格差があまりないです。地方に行っても都市との差はあまりないです。中国ではものすごく格差が大きくて、そのため社会の不安定の要因にもなっています。

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どうなる、どうする日中関係(9)

日本の食べ物がおいしい。日本人のマナーを体験し、反日感情に変化

 日本に観光に来る人は人口比ではわずかな人ですが、もっと増えてきて往来が1千万人の時代になったら日中関係において、とてもいいことです。

 その観光から生じた嬉しいニュースは、日本観光から帰って、反日感情を持っていた人の日本に対する感覚が変わってしまうことです。日本の食べ物のおいしさ、それから日本人の礼儀のただしさ。いつも中国人が話の材料にしているのは、日本では地下鉄でもバスでも列を作って乗り降りしている。中国人はいつも争って乗っている。日本ではどこに行っても列を作っていることが信じられないということです。

 一番わかりやすいのは、どこへいっても水道水が飲めること。日本人と接触したことがある人は、みんな日本に対する評価が高いということは、観光経験を持つ中国人からよく聞く話です。

 さらに日本の電気製品が評価されています。デジカメは一番人気があって、2005年の反日のデモの時、日本製のデジカメを持ちながら反日のスローガンを叫んでいる若者ばかりでした。私は中国人の日本製品不買運動をやるのは、まったく理解できません。いまの中国の家庭の中に日本製品がない家庭は一つもないことですから。

 そのため、在日中国人の新聞発行でも観光客受け入れでも、私が政府に提言しているのは、在日中国人を活用して観光客を受け入れることです。中国人家族の観光ビザは緩和されていますが、日本の法務省が心配しているのは、観光客が日本に来たら不法滞在者になるということです。もし、在日中国人が保証人になって、その家族や親戚が日本に来てもらったら、観光政策にも不法滞在者なくすにも最も効果があるのではないかと思います。

 中国からの観光客は日本の新聞は読めないから、中国語の新聞を持って帰る人も大勢います。各ホテルに無料ペーパーを置いて観光客に持って帰ってもらったら、日中相互理解にものすごく有益ではないかなと思います。

言論の自由の日本で、祖国の変化を展望して努力しています

 私の出版社で出している本は確かに石より固い本ばかりで、あまり売れませんが、良い本だと思っています。日本でこの仕事をしてひとつわかったことは、日本で売れている本イコール、良い本ではないということです。ベストセラーが全て良い本とは私は認めません。

ただ、日本の言論の自由は、中国と比べれば良い面がすごくありますが、売れない本の場合は、経営者として悩みが深いです。たまに開封されていない本をそのまま断裁しなければならない時があり、本当に心が痛みます。

 いま私は中国人として、日本でしかできない仕事をしています。読売新聞の記事(08年4月6日「人物語」)で紹介されたように、若い時に中国共産党の青年組織、中国共産青年団が発行する『中国青年報』の記者でしたが、辛い思いもしています(同記事から引用=「来日する2年前のこと。北京の天安門広場は、民主化を求める学生や市民であふれかえっていた。座り込みを続ける彼らの声に耳を傾ける。が、それが紙面を飾ることはなかった。記者が伝えたいことを伝えられない新聞とは…。夜の編集局で同僚と泣いた。…」)。

 中国の言論の自由はしばらくは難しい面もありますが、いずれは変わっていくことは間違いないことですから、日本にいる間はそういった中国に対する厳しい、あるいは辛口になるかも知れませんが、必要と思う本を出していきます。海外から少しでも故郷、中国を変えられたらいいなということから、本が売れなくても頑張っております。

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どうなる、どうする日中関係(10)

公園でのサークルには日本人、中国人とも多彩な顔ぶれが参加

 中国語サークルのことを、もう少し映像を見ていただきながら紹介させていただきます。日曜日午後2時から5時まで、この写真は10数人ですが、多い時は40数人が参加して毎週開催しています。この写真の時は群馬、大阪、千葉、山梨からの参加者もありました。

 サークルでは最初に自己紹介をしてもらいます。日本人は一言でもいいから中国語で話してもらい、その後日本語でしゃべってもらいます。中国人はまず日本語で自己紹介し、それから中国語です。その後は何かテーマを決めて、例えばオリンピック、あるいは餃子事件について何人かに日中両国語でしゃべってもらう。それが終わりましたら2、3人のグループに分かれて日本や中国の情報を交換していくという形です。

 外でやっているので、スタートした時は8月でものすごく暑かったのですが、冬になると風も吹いてとても困ります。そのため、近くの喫茶店を借りて、コーヒー代だけ自己負担としてやっています。雨にも負けず風にも負けず、ずっと参加されている方もあります。

 毎回1枚の記念写真を撮ります。この映像は、天津から来た大学関係者たちです。左から3人目は、作家で中国関係の書物をたくさん出している池上正治先生です。

 この人は日本留学から帰国して、いまは日本では参議院レベルの全国政治協商会議の委員をしている方です。来日した際に顔を出してくれました。中国大使館の人も参加する時もあります。

 この人は「福」という文字を逆さにして持っていますが、中国では玄関に飾る時は上下反対にしなければなりません。なぜかというと、福が来たという意味を示すからです。

 この人は中国の全国レベルの文学翻訳賞を受賞しました。翻訳したのは大江健三郎氏の小説です。もう一人の在日中国人の女性は、小説を書いて芥川賞の候補になって文学新人賞を受賞しています。

 結構、マスコミにも取り上げてもらっていて、中国の人民日報のネット版とか香港のテレビ局とか、いろいろなところが取材に来ています。今回の四川大地震の募金活動は、日本の共同通信の取材で地方の新聞にたくさん紹介されました。

相互理解への関心を喚起するため、メルマガや毎日更新のブログ

 パソコンがインターネットにつながっていますので、私のブログ(段躍中日報http://duan.exblog.jp/)の画面も紹介します。相互理解への関心を喚起したいと願って発信しています。(日本僑報社のホームページ)トップページは四川大地震に対する追悼を現す、黒い背景に白い文字の中国風になっています。ブログでは、2005年から毎日たくさんの情報を更新しています。

 無料配信のメールマガジン(日本僑報電子週刊)は1998年から毎週ですが、この勉強会に出かける前に書いてきた今日配信のメルマガには「これから浜松町に……」と書いてあります(笑)。

 携帯電話用のメールマガジン(ミニ僑報)も去年スタートして50回を超えました。毎週水曜日に更新しています。

 ブログには、明日から銀座で開催される中国内モンゴル大自然の写真展の紹介もあります。今日参加の皆さんにお配りした写真展の招待券の裏はしゃぶしゃぶ店の 500円の金券になっていますから、写真展に行けなくても捨てないで下さい。この「小尾羊」のお店は六本木、池袋、新大久保に加えてまもなく銀座にもオープンします。日本ではあまり食べられない味のしゃぶしゃぶです。とてもおいしいです。このお店は、今年から作文コンクールのスポンサーになっていただいています。

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