【作者紹介】周偉嘉(Weijia Zhou)、1983年華東師範大学卒業、1989年復旦大学大学院法学修士、1996年慶應義塾大学で法学博士を取得。華東師範大学・上海社会科学院ソ連東欧研究所(現在Centre for Russian Studies, East China Normal UniversityとInstitute of Eurasian Studiesという二つの研究機構として独立)の常勤研究者、日興證券国際部、中央大学等を経て、現在、産能大学教授、学習院大学兼任講師。著作に『行政学導論』(共著、上海三聯書店、1988年)、『中国革命と第三党』(单著、慶應義塾大学出版会、1998年)、『中国大革命与亜州』(共著、中国档案出版社、北京、2000年)、『戦後中国国民政府史の研究(共著)』(中央大学出版会、2001年)などがある。論文に「第三党形成の初期段階における章伯鈞」(『近代中国研究彙報』16号,東洋文庫,平成6年4月)、「武漢政府崩壊後の第三党と国民改組派」(『東洋学報』 第77巻 3.4号, 平成8年3月)、「海洋日本論的政治化思潮及其評析」(『日本学刊』、2001年第2期)、「中国の民営化と企業再編」(『産能大学紀要』2005.9)、「マッギフィンとその時代-新発見の上野彦馬の写真を手がかりに 」(『産業能率大学紀要』、 2007.9)、「中国の教育サービス市場の発展とその現状」(『産業能率大学紀要』、2008.9)他、多数ある。
再生社のなかで、社会民主主義の影響を受けたもう一人の人物は羅隆基である。彼は1921年清華学校を卒業後、翌年アメリカに留学し、この時期彼は大江会を組織し国家主義を信奉した。(7)羅隆基はウイスコンシン大学で政治学を専攻して修士課程を終えた後、コロンビア大学博士課程に入った。その間、25年にイギリスのロンドン大学政治経済学院(London School of Economic and Political Science)で約一年間イギリスの著名な社会民主主義の思想家であるラスキ(Harold Joseph Laski,1893―1950)の指導を受け、イギリスの文官制度を研究した。(8)当時、ラスキは積極的にフェビアン主義の指導者と密接に交際し、労働党や労働組合会議(TUC)に身を投じていた。ラスキは政治経済学院で政治学の講座を担当し、英国思想の伝統たる個人的自由の尊重と人権の擁護を中心とする多元的国家論を全面的に展開していた。この個人的自由の尊重と人権の擁護を中心とするフェビアン主義は、羅隆基の思想形成にはもとより、中国の中間派知識人に大きな影響を与えた。(9)
このように民盟がソ連型の経済的民主主義、つまりソ連型の計画経済を戦後構想に取り挙げたことは注目に値する。これには、第二次世界大戦勝利の前後、中国の輿論がソ連の社会主義制度に対する評価を変化させたことが背景にあることを指摘おかなければならない。例えば、重慶の『大公報』は1944年10月8日に、ラスキの「中国の勝利展望に関する感想(Reflections on the Prospects of Chinese Victory)」を掲載した。彼は戦後の中国が経済的民主制度を基礎に置かなければ、その勝利が長く続かないと警告し、レーニンとその後継者が作った「計画生産制的国家」を中国が参考すべきものとして高く評価し、この時期に『大公報』に掲載された一連の社会民主主義、とくにソ連紹介の論評が戦後中国の輿論形成に大きな影響を与えたのである。(59)