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第18回北京日本人学術交流会

第18回北京日本人学術交流会

第18回北京日本人学術交流会




第18回北京日本人学術交流会は、名古屋大学大学院研究生で現在、北京第二外大外籍教師をされている八百谷晃義氏に報告いただきます。  今回は、中国語をメインにして報告をしていただきます。(レジュメは日本語メインですので中国語が聞き取りにくい方でもある程度はわかるようになっています)歴史学の成果が披露され、興味深いお話がうかがえるものと思います。参加希望の方は、資料の準備の関係もありますので18日深夜までに連絡係の倉重(gtakura@gmail.com)まで参加希望のメールをお願いします。ではよろしくお願いいたします。   
   
  日時:11月21日(土曜日)
  報告と質疑応答:午後四時半~六時半
  懇親会午後7時~8時半
  場所:北京大学東門近くの教室(予定)
  地下鉄4号線の北京大学東門駅から徒歩2,3分のところです。
  発表者:八百谷晃義氏(北京第二外大外籍講師)
  題目:「戊戌変法期の政治運動」
   
  発表要旨

民国元年十月三十一日、梁啓超は強学会成立の情景を自ら回顧して、「けだし強学会の性質は、実に学校と政党を兼ねてこれを一にせり。今日に在りては固より視て幼稚の団体となすも、然れども当時の風気いまだ開かざるの際に在りては、強学会の名を聞くものあらば、驚駭して非常の挙有らんと疑わざるなし。これ幼稚の強学会の、遂によく数千年の旧習慣に戦勝して当時の耳目を一新し、中国社会を革新するの功を具えたるにして、実にまたこれを軽視すべからざるなり」と述べている(梁啓超『飲冰室合集』文集巻二十九、初帰国演説辞、蒞北京大学校歓迎会演説辞)。彼らが設立した強学会は、もとより幼稚な団体であったけれども、学校と政党の実を兼ね、当時の旧習慣を一掃した、と言っているのである。ここには彼が当事者であったが故の誇張が含まれており、強学会に当時の旧習慣を一掃するだけの時間は与えられなかったこと、我々はすでにこれを事実として知っている。しかし民国元年の梁啓超は、当時よりはっきりとした形をなそうとしていた政党の源流を強学会に認めたわけだが、これは戊戌変法期に林立した学会の活動が一体いかなる意味を持つものであったかについての示唆を、我々に与えてくれるだろう。

明末という危機を、わずかに王朝の危機ではなく、伝統的社会そのものの危機を収拾し、極めて安定した帝国支配を実現した清朝は、明末的風気を憎み、それを再現させぬよう士人を弾圧した。そのような清朝の統治下においては、士人が政権とは別に政治的意思、今日風の言葉でいえば「輿論」を形成すると言うことは、甚だ危
険な動きとして徹底的に否定されねばならなかった。梁啓超が政党の源流とした強学会の活動、より一般的には当時の学会活動を、このような士人統制策をとる清朝の体制の文脈から見た場合、それはいかなる意味を持つものとしてとらえられるべきだろうか。

  本発表では、「議会制」や孔子改制といった変法派の主張そのものではなく、彼らの活動の方式と、その活動がいかなる広がりを見せようとしていたかに注目し、この点から変法運動の意味を考えてみようとするものである。
  
  北京日本人学術交流会
  代表:山口直樹 ngodzilla21@yahoo.co.jp
  北京日本人学術交流会に関する説明については
  http://j.peopledaily.com.cn/96507/97399/6683162.htmlを。

[ 本帖最后由 NZWJ 于 2009-11-17 13:19 编辑 ]

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