【作者紹介】段躍中,1958年、湖南省生まれ。有力紙『中国青年報』の記者・編集者として活躍後、1991年に来日。新潟大学大学院で現代社会文化研究の博士号を取得。1999年、日本僑報社を設立しメールマガジン発行や出版事業を展開。これまでに日中関連の書籍180冊以上を刊行している。また2005年より日中作文コンクール、2007年より星期日漢語角、2008年より日中翻訳学院を主宰。日中交流のための積極的な活動が高く評価され、2008年に「日中学院倉石賞」「小島康誉国際貢献賞」を受賞。『現代中国人の日本留学』(明石書店)、『日本の中国語メディア研究』(北溟社)など著書多数。
中日関係の問題は、両国民の交流の基礎があれば解決できるはず
2008年、日中文化交流などに貢献した個人に贈られる「日中学院倉石賞」「小島康誉国際貢献賞」をダブル受賞した日本僑報社編集長の段躍中。自身の活動、今後の日中関係の展望などについて話を聞いた。
Q:皆さん、こんにちは!「にいはお茶館」へようこそ。
今日は光栄なことに、日中文化交流の使者である段躍中さんをお招きすることができました。段さん、こんにちは!
段:こんにちは!
Q:まずは「日中学院倉石賞」「小島康誉国際貢献賞」の受賞、おめでとうございます。今の心境をお聞かせいただけますか?
段:こうしてインタビューしていただき、非常にうれしく思います。二つの賞を受賞できたのは、皆さんのおかげであり、支持していただいた結果ですから、読者、リスナーの皆さんに感謝しています。日本の友人、中国の友人の支持があったからこそ、今回、このような賞を受賞するチャンスを得たのだと思っています。
Q:日本へ来たばかりのころは、多くの挫折や困難を経験されたと思いますが、どのように進んでこられたのですか?
段:留学時のことについて言えば、いろいろと辛酸苦楽がありました。わたしの日本語はすべて独学です。日本へ来て一年目に、わたしが書いた原稿が日本で最大の新聞である『読売新聞』に掲載され、これが大きな励みになりました。その後、何度も各紙に投稿し、すべての全国紙、さらには一部の地方紙にも、わたしの日本語の原稿が掲載されました。掲載された原稿は、全部で200編くらいになります。これは、日本語学習や来日当初の困難を克服するうえで、非常に有効な方法となりました。
Q:日本へ来たとき、どんな夢がありましたか?
段:来たばかりのころは、具体的な夢といえるようなものは特になかったのですが、読書が好きだったので、いつも図書館や書店へ行き、たくさんの本を読みました。当時、日本にこれほど多くの良書があり、書店があり、中国関係の書籍があることを知り、いつの日か自分が書いた本が日本の書店に並べばいいなという夢を持つようになりました。そして、将来、条件が整えば、出版社を作り、中日関係の本をたくさん出したいとも考えました。今、その夢は、一部実現したといえます。
Q:出版をされ、ご自身で本も書き、さらには「日中作文コンテスト」(注:「日本人の中国語作文コンクール」
http://duan.jp/cn/
「中国人の日本語作文コンクール」
http://duan.jp/jp/)や「星期日漢語角(日曜日に開催される中国人と日本人の集い)」
http://hyj.duan.jp/を企画されたり、これだけ多くの仕事に従事されている原動力は、どこから来ているのですか?
段:原動力というなら、まずわたしには記者としての使命感があります。日本へ来てもう18年になりますが、自分が見聞したことを、常にメッセンジャーの立場で読者に伝えてきました。この使命感が、出版のみならず社会奉仕や貢献もしなければならないと駆り立て、その気持ちがずっとわたしを支えてきたのです。もう一点は、一人の在日中国人として、日本のメディアの在日中国人に対する理解が十分ではなく、日本で活躍している多くの中国人に関する情報が報道されていないと感じています。素朴な考えではあるのですが、彼らの情報を多くの日本の友人、中国人の友人に伝えたいと思いました。
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本帖最后由 NZWJ 于 2009-2-16 09:53 编辑 ]