日本で働く留学生OBたち
『向学新聞 月刊』第199号(2008年9月1日)掲載
国際機工株式会社
代表取締役社長
朱 建明さん(中国出身)
和を追求する日本のビジネス 挫折を乗り越え、成長の源に
――留学生時代の体験からお聞かせ願います。
私は1987年3月に来日し、東京大学大学院の国語・国文学の研究生として源氏物語や竹取物語などを研究していました。しかし古典文学をいくら勉強して博士号を取っても、日本では小学校の先生にもなれないと考え、国際関係論へ転向することを決めました。学内で転学するには指導教官の許可と推薦が必要でしたので、先生の家まで頼みに行きました。しかし先生は「期待をかけていたのになぜ離れるのか」と怒り、結局推薦は断られ、非常に大きなショックを受けました。私は大学の受験係に「日本は社会主義の国と同じですね。自由な国といっても留学生に対してはまた違うのですね」と言ったことを覚えています。この一件は私が日本で経験した挫折のひとつです。
その後、東京外国語大学大学院の国際関係論コースを受験し、留学生枠はすでにいっぱいで入れませんでしたが試験成績で入学を許可されました。その後就職活動中に一部上場の会社から国際部勤務の内定を頂き、大学院は中退しても就職の道を決めました。
入社後にはもうひとつの挫折を体験することになりました。先輩後輩の関係です。私は入社当時33歳で中途採用され、4年間以上も黙々と仕事をこなしていましたが、先輩後輩関係の厳しい社会なので活躍の場が与えられないのです。国際部で会議をしてもあまり意見は採用されず、ある日社内報で、私と同期で入社した元留学生が会社の製造工場で係長になったことを知りました。いっぽうの私は、会社のため貢献しようと思っていることをさせてくれないので実績はなく、平社員のままです。翌日「一身上の都合で退職します」と辞職願を出しました。上司には「給料が少ないからか」と聞かれましたが、本音は誰にも言いませんでした。
会社の常務からは「日本国籍を取得すればやりやすいのではないか」といわれていました。要するにビザ関係の手続きが面倒なのです。帰化した人は周囲にたくさんいたのですが、日本国籍の取得には時間がかかります。係長になった同期の奥さんも、たまたまですが日本人でした。この会社にいても将来が見えているように感じ、そこで決断したのです。
私の人生にはそのような決断の場面がいくつもありましたが、一つ一つの決断は今でも間違っていなかったと思っています。様々な挫折や過ちを経験しました。しかし、挫折というものはそれを正しく乗り越える限りにおいて、その人の成長にとってなくてはならないものなのです。理想を目指し続け、現実に対して葛藤し続ける限りにおいて、挫折やつらく苦い経験は、自己の成長と発展の源となるのです。
私には以前から経営者になりたいという思いがありましたので、退社後に日本人と共に起業しました。ある留学生時代の知人で、中国から日本企業に派遣されてくる研修員の通訳を請け負っていた人がいました。あるとき私がその知人の代わりを務めたことがきっかけで、その日本企業の部長と知り合いになり、個人的に信頼を受けました。さらに中国の会社からも信頼を受けることができたので、事業を本格的に始めることにしたのです。
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本帖最后由 杰亮 于 2008-9-6 08:08 编辑 ]